東北ツーリング2 ~震災の爪痕
2日目。8時過ぎにハワイアンズを出て奇跡の一本松を目指します。
東北自動車道の安達太良サービスエリア。
北の雲行きが怪しいです。
しばらく走るとやはり雨が降ってきました。
二人とも雨具は持参してましたが、先導するGはそのまま走破。
しゃーないのでついて行きましたが、カウルの無いバンディットはさらに辛かろうに。。
白石あたりで雨はやみましたが、Gのバンディットがエンブレ状態でカラカラ音がすると不調を訴え始めました。
チェーンが緩んで当たる?と見ましたが、その時はさほど緩んでいるようには見えませんでした。ただ、チェーンは結構さびていましたが。。
それからさらに北上し、一関ICを降りてからカラカラ音が悪化したため、ホームセンターコメリに寄って、チェーンオイルを購入。
そこでチェーンを見ると、かなり緩んでタルタルになってました。
こりゃチェーンが当たるわな。。
車載工具にシャフトを緩める工具も積んであり、その場でチェーンを適正の張りに戻し、チェーンオイルを塗布しました。
G「整備してまだ半年なのにもう緩んだり錆びるかぁ?」
と御不満な様子。
私「チェーンは2千円くらいの安もん使ったからなぁ」
実はこのバンディットは4月頃に不動の状態から私が安価な部品代のみで整備したのでした。
G「安もんか、だでだわ。」
…だでだわ。
善意で整備した人間を目の前に、このふてぶてしい名古屋弁にはイラっとしました。
だいたい、5月頃に雨の中を一日ツーリングしてるし、そこから東京まで乗ったりと酷使してるのに、どーせチェーンオイルはおろか洗車すらしていないズボラ人間に安もののせいと一蹴する資格は無いわ!!
と反論を抑えつつ、
私「スプロケはメーカー品を使ってるんだけどね」
と大人対応しておきました。
もし今度このクレームおやぢのチェーンを交換することがあるのなら、2万円くらいする高級品をねじ込んでやろうと思いました。
何はともあれ、そこからは異音も無くなり御満悦なGさんでした。
2時半にようやく一本松茶屋に到着。
そこで遅めの昼食“岩張楼(がんばろう)ラーメン”を食べてから、奇跡の一本松まで歩きました。
道中もそうでしたが、平地が続いていて、巨大なベルトコンベアーのような施設がフル稼働してます。
土砂を運搬するトラックもかなりの数がピストン輸送している模様。札幌ナンバーとかありましたので全国から集まってるんでしょうね。
震災から3年以上経ちますが、復興までにはまだ何年もかかるのかなぁ…
といった感じでした。
一本松までは徒歩10分くらいでしょうか。ようやく見えてきました。
この一本松は現在、枯死から人工的に作られてモニュメント化されています。
レプリカですが、見上げていると希望が湧いてくるような気がしました。
後ろの建物は“陸前高田ユースホステル”で津波の破壊力を物語っています。
合掌…
手作りの奇跡の一本松ストラップをお土産に買って、次の目的地の南三陸町防災対策庁舎に向かいました。
ここからは海沿いの下道を走ったのですが、復興の工事関係車両でかなり混雑していました。
風景もさすがに瓦礫は撤去されてありませんが、津波がさらった後の殺伐とした野原が今なお所々にありました。
到着は周りもすっかり暗くなった17時半。
建物前にはお地蔵さんやたくさんの花が供えられていました。
真っ暗で何も見えません。。
でもてっぺんのアンテナは見えます。
無線放送を最後まで呼びかけた女性職員。
アンテナに捕まって津波をしのいで生還できた人々。
その凄まじい状況を想像すらできませんが、とにかく合唱です…。
防災庁舎は一本松とは違い、観光地化されていません。
ナビも復興でできた新しい道や通行止めなんて情報は追従できていません。
ナビの癖もまだ理解できていないせいか、何度かリルートに振り回されて道を間違えました。。
リルートはもっとファジーに対応してもらいたいところです。
この防災庁舎もG先導で幹線道路からぐるっと回ってたどり着きました。
わたくし極度の方向音痴なのですが、それに比べてGは方向感覚が抜群に優れていてナビなんかよりよっぽど頼りになりました。
頭の中に地図が描けてるんだな…と感心した場面がいくつかありました。
いいかげん人間のGなのですが、唯一この部分だけは素直にリスペクトです。
防災庁舎を後に、今夜宿泊する多賀城のビジネスホテルをめざします。
つづく…